【MEGUMI】一時代を築いたレジェンドグラドルの転機と現在

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※画像:MEGUMI公式Instagram@megumi1818より

MEGUMIとは

 一世を風靡したタレントがすぐに「過去の人」になってしまうなど、移り変わりの激しい芸能界。グラビア界も例外ではなく、華々しく週刊誌の表紙を飾っていたグラドルが数年で消えてしまうようなケースは少なくない。

 しかし、グラドルデビューから20年以上が経った現在もグラビアファンから高く評価され、根強い人気を誇っている特別な存在もわずかながらいる。

 そのひとりが、2000年代にグラドルや毒舌系バラドルとして大活躍したMEGUMIだ。

イエローキャブ軍団として雑誌を席巻

 MEGUMIは岡山県出身で1981年生まれ。学生時代は陸上競技に打ち込むスポーツ少女だったが、歌手になりたいという夢を持っていた。まずは顔と名前を売ろうとグラビアモデルに挑戦し、撮影が楽しいと感じたことで仕事として続けていくことを決意した。

 2001年、MEGUMIは野田義治社長(当時)が率いる芸能事務所「イエローキャブ」からグラビアデビュー。童顔に不釣り合いな94センチのHカップバストで人気を博し、小池栄子、佐藤江梨子らと共に「イエローキャブ軍団」の一員としてグラビアを席巻した。

 彼女たちが多くの雑誌の表紙やグラビアを飾っていた2000年代前半は、ほしのあき、眞鍋かをり、安田美沙子、井上和香、磯山さやか、安めぐみ、山本梓、若槻千夏ら他の事務所のグラドルたちも活躍。その層の厚さは芸能界の歴史の中でも特筆すべきものがあり、グラビアファンからは「グラビア黄金期」などと呼ばれている。

 MEGUMIのド迫力ボディはその中でも別格の存在感を誇り、2001年に発売したファースト写真集『crumpet』(アクアハウス)を皮切りに次々と写真集をリリース。同年11月に発売した『Megami』(学研プラス)は傑作と話題を呼び、グラビアファンからとりわけ高く評価された。

 また、当時はDVDが普及し始めた時期で、それに合わせてイメージDVDにも多数出演。MEGUMIの圧巻のボディは写真だけでなく動画でもインパクト抜群で、多くの人気作を生みだした。

 グラビア全盛期の作品は現在も語り草になっており、いまだに熱烈な支持者がいるほど。「歴代グラドルの中でも最強」「過去最高のグラドル」と評価する声もあり、グラビア全盛期にリリースされた作品の輝きは現在も失われていない。

「毒舌タレント」の才能が開花

 当時は、可愛らしさを前面に押し出して甲高いアイドル声でしゃべるような女性タレントの人気が高く、地声が低く媚びない態度のMEGUMIはそれと正反対だった。本来なら大きなウィークポイントになるはずだったが、バラエティに進出したことでこれが大きな武器となった。

 誰に対しても物怖じせずにズバズバと思ったことを言いまくるキャラクターは「毒舌グラドル」として人気となり、一時はバラエティで見ない日はないほどの引っ張りだこ状態に。芸人たちからも「一緒に番組がやりやすい」とトーク力を評価され、業界内での評判がうなぎ上りとなっていった。

 実は、グラビアデビューした当初は「身体以外にセールスポイントがない」と揶揄されたこともあったMEGUMI。しかし、グラビア全盛期にバラエティでも大成功したことでそういった見方を覆し、ブレイクするに至ったのである。

 現在でこそ毒舌のアイドルは珍しくなくなってきたが、当時は感覚としてはテレビで愛想を振りまくべきグラドルが毒舌で共演者を斬りまくる姿は衝撃的だった。ある意味、彼女は「毒舌アイドル」の先駆者ともいえるだろう。ビジュアルを売りにしていたはずなのに芸人が頼りたくなるほどバラエティでのトーク力がある……という意味では、現在の小島瑠璃子や朝日奈央らの源流ともいえそうだ。

MEGUMIの運命を変えた大きな転機

 その後、MEGUMIにふたつの大きな転機が訪れる。ひとつは「イエローキャブ」のお家騒動に端を発した事務所の移籍だ。野田氏に追随してサンズエンタテインメントへ移籍した彼女は、以降は女優業にも本格進出するようになる。ここで演技の才能が開花し、数々のドラマや映画でバイプレイヤーとして活躍した。

 「女優・MEGUMI」の業界評価は非常に高く、今年は香取慎吾が主演した『アノニマス〜警視庁“指殺人”対策室〜』(テレビ東京系)や松坂桃李主演の『あのときキスしておけば』(テレビ朝日系)など、現在までに4本のテレビドラマに出演。

 Netflixで配信された『全裸監督シーズン2』に新キャラクターとして登場したことでも注目された。演技派女優に華麗に転身した先輩の小池と並ぶほどの「グラビア出身女優」の成功例と称され、2020年には映画『台風家族』での体当たり演技などが評価されて第62回ブルーリボン賞の助演女優賞を受賞している。

 もうひとつの大きな転機となったのが、2008年7月にDragon Ashのボーカル・降谷建志と結婚したことだ。いわゆるデキちゃった婚だったが、マスコミあてのファクスで「赤ちゃんを授かったので、本日入籍しました」と堂々と発表し、その潔さで好感を呼んだ。

 27歳だった翌年2月に第一子となる男の子を出産し、仕事復帰後はママタレントとしてもバラエティ番組などで重宝されるようになる。抜群のルックスとプロポーションを武器にグラビアで人気を獲得し、男性ファンが離れてしまう結婚後はママタレに移行……という展開は、芸能界におけるグラドル出身者の黄金パターンともいえる。

 ちょうど、MEGUMIが結婚・出産したのはAKB48などのグループアイドルが台頭してきた時期。雑誌の表紙や写真集ランキングはAKB48のメンバーらに席巻され、いわゆる「グラドル冬の時代」へと徐々に突入していったころだ。グラドル業界が斜陽になっていったころに結婚してママタレに転身し、子育てをしながら自分のペースで仕事をしていくという流れは、これ以上ないほど絶妙なタイミングだったといえるだろう。

 普通ならそれで万々歳といったところだが、MEGUMIはママタレとして消費されていくことを拒んだ。カフェやブランド、フリーマガジンの刊行など多方面で精力的に活動しながら、女優としての評価を高めていくことを最大の目標として、目先の「ママタレ人気」にすがらずに将来を見据えて自身をブランディングしていったのである。

 その結果が前述のブルーリボン賞助演女優賞の受賞をはじめとした、業界の内外からの高評価だ。だからこそ、彼女はいくらでも代わりのきくママタレとして消費されず、芸能界で独自のポジションを築けたのである。

ルックス大復活で男性ファンからふたたび熱視線

 だが、そんな彼女にも大きな悩みがあった。出産後の28歳ごろから「ほうれい線」が目立つようになり、ネット上で視聴者から「ババア、テレビ出てくんな」と心ない言葉を書き込まれるなど、20代なのに老け顔を指摘されるようになったのである。

 さらに、一緒に仕事をしていたディレクターから「ホウレイ」というあだ名で呼ばれたことで、MEGUMIは一念発起して美容に目覚める。

 これまでに試した美容法は1000種類にも及び、失敗を経験しながらも自身に合った方法を模索していった。この日々の美容の努力は、30代後半のアラフォーになって実を結ぶことになる。

 ネット上で「MEGUMIがかわいくなった」「顔がすっきりして昔よりキレイ」「すげーイイ女になってる」などと、30代後半になった彼女のルックスに絶賛の声が相次いだのだ。

 中には「整形」を疑う人もいるほどで、美貌が完全復活どころかグラビア全盛期を超えるほどの「イイ女」になったことで、ふたたび男性ファンからの熱い視線を集めるようになった。

 グラビア界でも屈指だった抜群のプロポーションも健在で、2020年に夫とのプライベートツーショット写真を掲載された「FRIDAYデジタル」(講談社)の記事タイトルは「MEGUMIが夫と買い物中に見せた『貫禄の美ボディ』」である。

 また、グラビアから完全に卒業してしまったわけではないようで、今年7月には「週刊ポスト」(小学館)で俳優の竹中直人の撮影による、ストーリー仕立てのグラビアを披露している。「平成のグラビア女王」としてグラビア全盛期を懐かしむファンはもちろん、現在進行形でも世の男性たちを沸き立たせているようだ。

(文=グラッチェ編集部)